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サンジャンの恋人♪

私は無類のJazz 好きだが、書道を愉しむ時は、いつもシャンソンを聴く。ためらいなく軽快に筆を走らせることが出来るし、適度な高揚感が生まれて「粋な字」が、書けるのが嬉しい。

大好きなシャンソンの一曲、それは、”サンジャンの私の恋人”。

いろんな人が、この歌を歌っているけれども、若くして白血病に倒れた美貌の歌手「リュシエンヌ・ドリール」のこの曲が一番好き。



シャンソン歌手ではエディット・ピアフが有名だけれども、なんとも物憂げなドリールに、とても惹かれる。
初めてドリールを知ったのは、今から30年前、ボーイフレンドが連れていってくれた、フェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画、「道」の主題歌を彼女がフランス語で歌っているのを聞いてシビレタ時。「何と力強く意思を感じさせる歌唱力!」と唸ってしまった。

同じ曲でも男性が歌うと、更に優しさが含まれて聞くものを安心させる。パトリック・フィオ―リは、ミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」や、「禁じられた遊び」で、その美声を轟かせているが、この曲をとてもドラマチックに歌いあげていて素敵。




日本の歌手も負けてはいません。ヨーロッパ公演の際、フランスの有力紙ルモンドが、「彼女(彼)は劇場である!!」と評したという「美輪明宏」の”サンジャンの恋人”もいい。




そして、たかじんってシャンソンも歌えるんだ、と新鮮だったこの一曲もイイ。



歌詞がね、私の恋愛哲学に合致しているうえ、メロウな旋律と相まって気持ちの良い曲なのです。

やっぱりドリールの「サンジャンの・・・」が、一等好き・・・で、最後に彼女が歌う映画「道」の主題歌も聞いてみましょうね。


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by kaori40712007 | 2014-05-24 19:28 | music | Comments(6)

友と喜びを分かち合う♪

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本日、ジムに疲れをとりに泳ぎに行ったら、高校総合体育大会で、水泳も陸上も、ジム友達のお子さんたちが、素晴らしい成績で優勝しており、新聞紙上にその雄姿が掲載されているのを知り、歓びが三倍になった。帰宅後近所の仲良しさん家に回覧板を回しに行ったら、ご長男は大学テニスで優勝しており、二男さんが京大工学部で勉強に励んでおられると伺った。嬉しく帰宅したら、長女が大学剣道試合で勝ったと言う。

「歓び」を、素直に表現できて、それを共有できる友人を持てることに感謝。

子どもたちが、努力して、一つ何かに思いっきり取り組んで、良い結果を出したときに、喜んでくれる人が多いという事はとても嬉しいこと。世の中には、たいして努力もせず、人の成果に対してジェラシーを感じる人もいるから、「自慢している」と、誤解されるのを避けるために、めでたい事を隠すことがあるが、私は大いに歓びを表現するようにしている。

それで去っていく人と、お付き合いしないで済んで良かったと思う。一緒に喜んでくれる人は、成果を上げるまでにどれほどの努力や忍耐、そして、己の能力の見極めが必要だったかを知っており、その人たちもまた、沢山いい事が起こっている。

人と喜びを共有できる人たちは揃って、家族仲が良く、友達付き合いも、適度な距離を保ちつつ長く続き、暖かく優しくて気持ちが良い。皆さん、瞳がキラキラして、子育ても一生懸命なら、ご自分の世界もきちんとお持ちで、一緒に居て話題が尽きない。愚痴や泣き言を全く口から出さないのも共通している。苦難は成功への導き手、泥の中から咲くからこそ、ハスの花が美しく強い事を知っている。そんな彼らに育てられた子どもたちは、皆活き活きして、すくすく育ち、各界で活躍している。親の責任は本当に重いなと痛感する。

いい事は伝染するし、悪い事も然り。出来れば綺麗なところで、綺麗な人たちと共に、人生を歩きたいものだ。
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by kaori40712007 | 2014-05-18 22:55 | Comments(2)

総体デビューは、上々の出来♪

高校総合体育大会デビュー戦は、三勝二引き分けで、なんとか責務を果たせた次女、団体戦優勝し晴れ晴れとした気持ち。本日も五時起きで、愛犬の散歩に行った後、休む間もなく練習試合に出かけた。

終日の運転と応援で、母は、とっても疲れ、本日は腰痛で目覚めた。昨日できなかった家事を済ませたら、ジムへ泳ぎに行って、体調をリセットしなければ。アスリートの母としての役目を果たしたら、自分をきちんと取り戻さないと流されてしまう。今日は、本を読んで、映画を観て、新緑の中愛犬と散歩をして日曜のゆったりした時間を愉しむ。月曜日には、また可愛い子どもたちに、書き方指導に行かねばならぬので、腰イタは困ります。

「大勝負になればなるほど、芯にあるものが燃える。」

「団体戦ほど、責任感が出て大きく試合に挑める。」という次女。

私は気が小さいから、今まで生きていて、そうなったことが無い。気が弱くて泣き虫で、辛いことからはできる限り逃げて来たように思う。人との繋がりもできるだけ持たず、できるだけ自然の中に身を置き、木や風や鳥の鳴き声と一緒に居る方が幸せなタイプ。娘のサポートという形で、都会の大きな体育館で沢山の人々と接する機会を得て、学ぶことが多い。

高校生になって、真面目に精進する子どもたちの親御さんたちは、皆さんとても謙虚で利他的で、ユーモアの精神と笑顔の絶えない方が多い。観戦中も笑いっぱなし。仕事や家事の時間をやりくりして、子どもに惜しみなく愛情を注ぐ親御さんたちに、頭が下がる。愛情をたっぷり受けた子どもたちの表情は、この上もなく豊かで、心身ともにとても健康だ。こうして日本の伝統武道は、守られ、引き継がれていくのだなと感謝。本当に美しいものは抜きんでている。美しく力強い剣道を観ると背筋が伸び心が洗われた様な感じがする。

来週末は憧れの選手のいらっしゃる守谷遠征。ああ、いったい、いくら遠征費がいるのだろう???母は、春夏ファッションを愉しむ余裕も無くすぎていきそう・・・。


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by kaori40712007 | 2014-05-18 13:12 | 育児・教育 | Comments(2)

総体デビュー♪



次女が高校総体出場選手に選ばれた。土日はほとんど地方遠征で、毎日毎日5時起きで、夜は9時に帰宅し、勉強しながら眠りにつき、オフの日が全くないという厳しい生活の中から勝ち得た出場権。

早朝駅に向かうカーラジオから聞こえるこの歌を励みに、眠い目を擦りながらも気を奮い立たせて、今日も練習に出かける。

心身とても逞しくなって、ご飯を作るのが以前よりずっと楽しくなった母。

「ありがとう。そして、頑張れ!」
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by kaori40712007 | 2014-05-15 07:11 | 育児・教育 | Comments(0)

ウィンク♪

「さあ、今日も気持ち良く泳ごう!」っと、ジムに入ると、外国人会員さんが、両手を広げてウィンクしてきた。まあ、セクシーなこと。既婚女性にとっては、こう言う挨拶は愉しくっていいな。死ぬまで枯れたくはないと思っているけど、さりとて、家庭を崩壊させてまで、ドロドロの不倫状態に巻き込まれるのもいや。でも、でも、全く色気ないってのも味気ないので、イケメン男性からの、この程度の表現は嬉しいし、女性として、いつまでも「ハリ」のある「元気さ」を保とうという原動力にもなる。

それにしても、彫りの深いお顔の持ち主のウィンクはクラっとするほど美しい(笑)。

壁側の人のいない方のおめ目をかちっと打つのだから憎いね。

大人になって楽しいなと思うことの一つは、感情表現の多様さに触れること。

英会話力のブラッシュアップの為、しばし歓談し、プールに飛び込む。

書道で肩こりを起こさないよう、教室の前に、泳いで肩甲骨をほぐし、感性の幅も広げておく。水中から聞こえる流線波動の音が美しい。泳ぎながら覚醒と睡眠の中間の瞑想状態を愉しむ。



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by kaori40712007 | 2014-05-14 10:04 | 男と女 | Comments(2)

「肉体愛」と「精神愛」が融合してこその『純愛』♪

もう、かれこれ5年間、日参している超美人歌人「沙羅」さんのブログ、『ヒラリフワリサラリ』で、先日逝去された作家「渡辺淳一」氏について触れておられて、ああ、そうね、と思うことあるのでしたためておく。

沙羅さんのブログから、一部抜粋させていただく。

「やっぱり本当の大人の純愛は、精神と肉体の関係を両立させてこそ。女性がある男性に惹かれ、さらに一段深く好きになるための起爆剤は、肉体愛。最初は精神愛で近づくけど、それに圧倒的な肉体愛が積み重ねられることで、理性なんかでコントロールできない、圧倒的な強い愛になる。それを実感した男は、さらにさらに女を快くしてやりたいと願う。それこそが本当の純愛だよ」

by 渡辺淳一


沙羅さんは、これを「シンプル」と表現されている。うまいなあ~、まさにその通り!

「身体の関係が無いのを純愛」などと、いつの頃から、だれが決めたのであろう?「肉欲」という言葉があるが、あまり好きではない。人はもっと体をいとおしむように遣うべきだと思う。酷使するばかりが美徳ではない。そうっと優しく撫でる。ギュウと抱きしめる。ポンポンと元気づける。いろんな愛情表現があり、それは、親子や友人同士のもの。愛おしさも、切なさも、心憎さも、嫉妬も何もかも含んだ男女のそれは、時に激しく、時に優しく、二人だけにしか持ち得ない独自の世界。愛の深さを測ることは、お行儀の良いこととは思えないけれども、肉体愛から精神愛の深さが分かることは思い当たるはず。相手をよく観て、大切に思ってこそ相手を快くさせてあげられるのだから。この「快」を、タブー視する風潮は、相手を快くさせる術をもたない者の現実逃避であると、私は解釈している。

互いに快い境地に達するためには、そこに、知性と、衝動と、哲学と、身体の表現がマッチするという、高度なテクニックが必要なものだから、愚鈍な人は、この世界には入れない。「脳」と「能」が必要なのが純愛なのだ。

そういうことも分からないで恋愛をすると、苦しいばかりだし、自分を憎むのと同じように、相手にも不満が募り、結局関係は破綻する。

せっかく男と女、違う形状を持って生れて来て、互いの魅力に惹かれあっているのに、それに触れず、好きです、惚れてます、というのって滑稽。それでは、人は肉体など持たず、得体のしれぬ「魂」や「霊」のようなもののように、ふわふわと宙を漂っていればいいではないか。肌から発せられる匂いや温度、「気」のオーラなどが化学反応を起こし、互いに惹かれあうことの喜びをもっと大切にすればいいのになあと。

人が声帯を震わせ歌を歌ったり、肢体を駆使して踊ったり、走ったり飛んだりするのと同じように、愛情を表現することは素晴らしいと、子どもたちにも何とかうまく教えられないものかと、ハグしたり、背中をさすってやったりして育てて来た。母乳もたっぷり一人、2年半も与え続けた。しっかり抱いて、目と目を合わせて笑顔で授乳した。だって、大切なのだもの。愛おしいのだもの、触れていたくて当たり前。

身体を預けるという行為は、独りよがりの強い人には出来ないこと。対話のできる人、相手を信頼できる人にだけ与えられた悦楽の境地。渡辺氏の代表作「失楽園」は、それぞれ家庭がある男女の性愛小説である。世間に追いつめられるというより、あまりに深く思いあったがために、「死」をもって、二人の繋がりを永遠の物にしようとした男女の話にとどまらず、最後の検視報告書が実に圧巻なのだ。渡辺氏はかつて医師であった。人体を知り尽くしている彼だからこそ、肉体愛に対する絶対的な信望があったのではと思っている。

氏の冥福をお祈りする。
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by kaori40712007 | 2014-05-09 11:54 | 男と女 | Comments(4)

聖書片手に剣道合宿♪

「家族揃って元気で、祖父母にも可愛がられ、愛犬もおり、親友もいて、良い大学に入学し、学問楽しくて、体育会剣道部の先輩同輩にも恵まれ、住む所も、食べる物も、着る物も、何不自由ないのに、心に渇いた所があって、満たされないのよ、お母さん。」

と、おぼこい大学一年生の娘は、母である私にこう言う。

「それはさあ、身も心も焦がすような大恋愛をまだしてないからよ~。」と、母は即答する。

「はあ~?それ母親の答えか~?」と、あきれ顔の娘。

「そう!何の損得勘定も無く唯惚れちゃって、相手もこちらに惚れていて、互いに熱病のようになる状態ね。それはもうアドレナリン大噴出で、四六時中互いのことでいっぱいになったりして、嫉妬や焦燥や不安に苛まれ、自分の底に眠っていた感情が一気に噴き出るのよね。否が応でも雌としての自己の能力や魅力の有無を思い知ることにもなるしね。言い訳も、説明も不要な真剣勝負の世界よ。不条理の極みで、不確かで、何の将来の保証もない、自分対相手の野生動物のような衝動や直感だけの関係に、身を置く事を経験すると、人は一皮も二皮もむけて羽が生えるからね、飛べるんだよ。そうすると、乾いているとか、なんだとかという感情も湧かなくなる。潤うのよ~。色々考えているようじゃ駄目ね。綺麗事ではなくてね、汚物でも何でも、丸ごとその人を飲みこんであげたいと思うくらい好きな人がいると潤うよ~。飛び込んで行く勇気があればその世界は手にできる。がんばれ~♪」

というのは、少し冗談であって、ああ、この子には「宗教」が欠落しているからかもな、と本心は思う。

キリスト教でも仏教でもイスラム教でもいいから、何か一つ経典を体系的に学ぶと、「真理」がきちっと把握できる力がつくと思っている。そうすると人が人としてどうすれば清々しい気持ちで自由に生きられるかという術を身につけられる。

巷に溢れる、自己啓発本やノウハウ本は、サプリメント程度で、読後一瞬気持ちが軽くなったような気がするだけで、人格の核形成には、あまり効果が無いと思っている。経典は髄を培う人格の栄養素だ。不安や渇きを一掃する力がある。

自らの拙い経験に基づいてしか言えないのだが、10歳の頃から教会学校に通い、中高一貫教育で、毎朝礼拝を受け、家庭を持ってからも、子どもの通う保育園の牧師である園長先生が、わが家を会場に聖書研究会を開催してくださったおかげで、聖書を精読したことが今の幸せに繋がっていると信じて疑わない。

人生の転機や一大事に、どうすればよいか?という答えは、全て聖書に在った様に思う。その時々の判断は、今振り返っても正しかったし迷いやブレが無かったのは聖書のお陰だと考えている。

「汝の隣人を愛せよ。(マタイによる福音書 22章39節)」

この一言に、聖書の全てが集約されていると私は勝手に思っている。

誰それが好きとか、なぜ好きとか、どうのこうのとか条件付きではなく、互いの運命によって手繰り寄せられ出逢った人を、好きであろうと嫌いであろうと愛せよ、というこの教えは、人々を幸せにするための「大きな導き」である。

「我が!我が!」と思い、頑なに拘っている間は人は決して幸せにはなれない。

「まずは今、となりに居る人を愛する」為には、いつも笑顔でいる事であろうし、おかれている状態に感謝することであると思っている。一番身近にいる家族を大切にできない人は、その段階で幸せへの切符を手放している。聖書は、そういう人も神は赦し救ってくれると言っているが、救ってもらうだけではなく、もっと自発的に幸せをゲットしようと思うと、隣人を愛し笑顔で過ごし感謝の気持ちを忘れない事だろう。

「だからもっと愛犬の世話をし、家族に優しくしないとねえ~。」というと、娘は、拙い母の説明だけではピンとこなかったらしく、さりとてこのままスル―するのも中途半端だなと思ったのか、聖書を旧約聖書の創世記から読み始めた。読み始めたら止まらなくなったらしく、GW期間中の剣道合宿に、山ほどもある荷物に聖書も突っ込んで出かけていった。

その後ろ姿を見送りながら、娘の心の渇きの原因が、母親からの愛情不足だったらどうしよう、と一抹の不安に襲われた。私も聖書をもう一度読み直さないと・・・(笑)。
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by kaori40712007 | 2014-05-05 09:58 | 哲学・生き方 | Comments(6)
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楽しい日々♪


by マダムSadayacco
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